医療機関や大規模施設では近年、AIの活用が進んでいます。診断画像の解析や電子カルテのデータ分析、さらには院内業務の効率化など、多様な場面でAIが導入されはじめています。しかし、その一方で「クラウドは危険だ」「データが漏洩する可能性が高い」といった声から、自営(オンプレミス)でAIを運用しようとする動きが根強いのも事実です。患者の個人情報や高度に秘匿される医療データが外部に出ていくことを極度に恐れるあまり、クラウド利用を避けたいという心理的ハードルが存在します。
ただ、はたしてオンプレミスでAIシステムを構築することは、クラウドを利用するよりも本当に安全なのでしょうか? 実は、クラウド事業者は高度なセキュリティ体制を整え、世界的に認証されたシステム運用を実践しています。逆に、病院側が独自に運用するオンプレ環境では、専門のセキュリティ人材不足やソフトウェア更新の遅れなど、思わぬリスクが潜んでいるかもしれません。患者の生命に直接関わる医療機関だからこそ、慎重に判断する必要があります。
本記事では、クラウドを避けてオンプレ運用する病院が抱えるセキュリティ上の問題点を掘り下げたうえで、実際にはどちらの方が安全なのか、ハッカーが狙っているのはどちらの環境なのかを考察していきます。さらに、国産クラウドの利用やハイブリッド構成など、現実的かつ効果的な代替策も紹介します。読み終える頃には、「クラウドか、オンプレか」という単純な二項対立ではなく、自組織のリソースや要件に合わせた柔軟な選択が重要であることがご理解いただけるはずです。
なぜ病院はクラウドを避けたがるのか
医療機関でクラウド利用を敬遠する理由は、歴史的・心理的・法的な背景が複雑に絡み合っていると言えます。そもそも病院が扱う情報は、患者のプライバシーに深く関わる極めて機密性の高いものです。CTやMRIなどの検査画像、電子カルテ、診療報酬請求に関わるデータなど、漏洩した場合の影響は甚大です。こうした機密データを院外に「預ける」イメージが、どうしてもクラウドへの抵抗感を生み出す大きな要因になっています。
さらに海外企業が提供するクラウドの場合、「データがどこに保存されているのかわからない」という漠然とした不安や、「外国企業が扱っていると法制度面で不利になるのでは」という疑念も後押しします。法的・倫理的な観点で責任所在を明確にしたいがために、自営サーバであれば全てが院内に完結するという“誤解に基づく安心感”を抱きがちです。加えて、オンプレミスのシステムであれば自分たちの目の届くところにサーバを置けるという、物理的なコントロール感が「安全」と結びついてしまうのです。
しかし、実際にはオンプレミス=完全に安全というわけではありません。IT部門の人材不足やシステム管理ノウハウの欠如は深刻で、セキュリティパッチの適用や監視体制の整備など、日々の運用で手が回らない部分が増えてきます。その結果、「クラウドは怖いからオンプレにしよう」という短絡的な発想が、かえって大きなリスクを招く可能性があるのです。
データ漏洩への不安
「データ漏洩への不安」が、クラウドを避ける最も根強い理由の一つである。医療機関は個人情報だけでなく治療記録やレセプト情報など、きわめて機微なデータを扱うため、その漏洩リスクは死活問題となる。
医療データの価値は想像以上に高い。例えば、患者の病歴や処方箋情報などはダークウェブ上で高値で取引されることがある。そこから個人を特定して詐欺行為を行うケースや、保険金詐取、さらに医療サービスになりすまして金銭をだまし取る手口など、多様な攻撃パターンが考えられる。こうした深刻な被害事例が海外や一部の国内医療機関で起きているため、院内としては「データを院外に出したくない」という心理が強く働く。
- ランサムウェアの標的
ある海外の総合病院がランサムウェアに感染し、電子カルテにアクセスできなくなった。患者の治療記録が閲覧不能になり、緊急手術を受ける患者の情報把握すら困難に。このとき「クラウドにデータを置いていなかった」ことで被害が限定的だった…というのは実は一部の視点で、実際にはオンプレで運用していたサーバが古いOSで放置されていたことが原因。もしクラウドにバックアップがあれば、迅速に復旧できた可能性が高い。 - 海外大手クラウド企業への根強い不信
従来からセキュリティ事故やプライバシー侵害の報道があると、クラウド大手が標的になることがある。「SNSで流出した」といったニュースを耳にすると、「外部に預けるクラウドは危険」という先入観を強めてしまう。しかし実際には、その裏側にはユーザー側の設定不備やパスワード管理の甘さが原因のケースも多い。
患者データを一歩でも外へ出す不安があるのは当然だが、クラウドには高度な暗号化や多層防御の仕組みが標準装備されている。むしろオンプレ環境のほうがセキュリティアップデートを怠ってしまいがちで、データ漏洩のリスクが高まる場合も十分に考えられる。要は「どのように運用するか」が肝心で、クラウドを一括りに危険と見なすのは早計である。
海外企業への心理的抵抗
医療機関におけるクラウドの導入を阻む要因の一つに、「海外企業への心理的抵抗」がある。とくに米国をはじめとした海外のクラウドベンダーを利用する際、法制度やデータの所在が不明瞭と感じられることが大きい。
医療分野では、日本国内の法律やガイドラインに基づいて厳格に個人情報を管理しなければならない。「データが海外サーバに保存されているかもしれない」という想定があるだけで、院内の倫理委員会や上層部が否定的な判断を下すことが少なくない。また、海外の法律(例:Cloud Actなど)によって自国政府からデータ提出を求められるリスクがゼロとは言い切れず、「患者情報を海外政府に握られるのでは」という疑心暗鬼に陥る場合もある。
- 米国系クラウド企業への懸念
組織内でクラウド導入を検討していたとき、具体的なセキュリティ要件をクリアしていても、「そもそも海外クラウドというだけでダメ」と言われてしまうケースがある。海外系企業の導入事例を示しても、「あちらは法律が違うから参考にならない」と却下される。 - 実際には国内データセンターを利用しているケース
大手クラウド企業でも、日本国内にデータセンターを設置している場合が多い。データのレプリカは国内複数拠点で管理され、災害に備えている。しかし、院内ではその事実が認知されていない場合も多く、「海外企業=海外にデータが行ってしまう」という誤認が拭えない。
「海外企業だから危険」というイメージは、必ずしも実態を反映していない。実際には国内向けのクラウドサービスであっても、十分なセキュリティ・コンプライアンスを備えているところが増えている。院内のシステム担当者は、海外企業でも日本の法規制を厳守し、国内データセンターを利用している事実を明確に伝え、リスクを過大評価しないよう工夫する必要がある。
法的・倫理的な責任回避の意識
病院側がクラウド導入を躊躇する理由として、「法的・倫理的な責任回避の意識」も大きい。データ管理責任を外部企業に委託すること自体が、万一の事故時に責任の所在を曖昧にするのではないかと懸念される。
医療機関では、個人情報保護法や医療法などによるデータ管理義務が厳格に定められている。万が一、情報流出や改ざんなどが起きた際、「クラウド業者に任せていたからわからない」では済まされず、最終的な責任は病院側に問われる。さらに、院内の倫理審査委員会などでは「クラウド環境だとどこまで透明性が確保できるのか?」という懸念が強く、保守的な判断が導きやすい。
- 監査対応時の質問攻め
クラウド利用を始めると、監査で「どの国のデータセンターか」「どの程度の暗号化レベルか」といった技術的質問が飛んでくる。病院側がITに詳しくない場合、正確に答えられずに「きちんと管理されていない」とみなされるリスクがある。 - 外部委託先に責任追及ができるか
データ漏洩が発生した場合、外部委託先のクラウドベンダーへ責任を問うことはできるが、最終的には「患者データを扱う病院の管理不行き届き」という評価を受ける。結果として、患者や監督官庁からの信用を失う可能性がある。
オンプレミスであってもクラウドであっても、法的・倫理的責任から逃れることはできない。むしろクラウドの場合は、詳細なセキュリティレポートや監査報告書を受け取れるケースが多いため、適切に管理していることを示しやすい。透明性と可視性を確保できるのであれば、責任を明確にしつつ安全性を高められるはずだ。
自営の方が安全だと思い込んでいる
「院内にサーバがある=自分たちでコントロールできる=安全」という発想は根強いが、実際にはそうとも限らない。オンプレ環境が抱えるセキュリティリスクを過小評価しているケースが多い。
ITセキュリティは日進月歩であり、サイバー攻撃の手口も高度化している。常にOSやアプリケーションのアップデートを適用し、ネットワーク監視や異常検知を行い、サーバ室の物理セキュリティまで管理しなければならない。しかし医療現場では、こうした細かい運用を担う専門人材を常駐させることが難しいのが現状だ。
- 管理者の属人化
古参のIT担当が退職すると、サーバ構成やセキュリティ設定がわからなくなる事例がある。クラウドの場合はサービスレベルで専門スタッフが常駐しており、契約さえ続ければ環境の保守やアップグレードが受けられる。 - 物理的脆弱性
院内サーバの置かれた部屋に誰でも立ち入れる状態で、サーバラックの鍵が施錠されていないケースもある。ハードディスクを物理的に抜き取られるリスクがあっても、忙しい医療現場では対策が後回しにされがちだ。
オンプレミスであれば目視でサーバを確認できる安心感はあるかもしれない。しかし、セキュリティは「運用とノウハウ」に支えられるものであり、ハードウェアの所有が安全性を保証するわけではない。自営システムの方がリソースや人材不足で危険を抱え込むケースは決して珍しくないのだ。
しかし本当に安全なのはどちらか?
ここまで見てきたように、病院がクラウドを避けるのにはさまざまな理由があるものの、本当に安全なのはどちらなのか、簡単には断定しづらいのが実情です。クラウドには大手企業が誇る堅牢なセキュリティ体制がありますが、データ保管が物理的に目に見えにくいというデメリットもあります。一方、オンプレにはデータを直接管理できる安心感がある一方で、専門スタッフや十分な運用リソースを確保できない場合は、セキュリティ対策が脆弱になりがちです。
こうした二者択一の議論で見落とされがちなのは、「クラウドかオンプレか」という表面的な区分ではなく、「実際にどれだけのセキュリティ対策とリソースを投下できるか」という運用面の問題です。クラウドなら絶対安全、オンプレなら危険とは言えませんが、セキュリティベンダーやクラウド事業者の専門知識を活用しやすいクラウドのメリットは無視できないでしょう。以下の各項目では、クラウドとオンプレのセキュリティ事情をより詳細に掘り下げ、AI運用に求められる管理体制についても言及します。
クラウドの堅牢なセキュリティ体制
クラウド事業者は、世界規模のセキュリティ対策を展開し、個々の医療機関では実現しにくいレベルの保護を提供している。
AWS、Azure、Google Cloudなどの大手クラウドベンダーは、ISO 27001やSOC2、HIPAAなど各種国際標準・法規制に準拠し、厳格な監査を定期的に受けている。大規模な投資により24時間体制の監視ネットワークを整備し、脆弱性を自動検知する仕組みを導入している。これは単一の病院がオンプレで構築するには膨大なコストと専門知識が必要で、実質的に再現は困難な水準と言える。
- 多層防御の仕組み
ファイアウォール、侵入検知システム、アクセス制御、暗号化、物理的セキュリティなど、多層的にセキュリティを配置する。通常、オンプレでは「ファイアウォールを一台置くだけ」のようになりがちだが、クラウドでは各階層ごとに専用ツールが導入されている。 - ベストプラクティスの共有
大手クラウドベンダーでは、膨大な顧客の導入事例とセキュリティインシデント報告をもとに、常に新しいベストプラクティスを生み出している。それを各ユーザーに還元することで、医療機関も最新の防御策を享受できる。
クラウドは、「利用者が意識しなくても、高度なセキュリティ層が標準で提供される」というメリットが大きい。もちろん設定ミスやヒューマンエラーによるリスクは存在するが、それはオンプレでも同様だ。むしろクラウドを正しく使えば、総合的なセキュリティレベルは高まる可能性がある。
自営システムが抱えるセキュリティの弱点
オンプレミスシステムを選択する場合、セキュリティの全責任が院内に集中し、リソース不足から来る脆弱性が生じやすい。
病院内部には、ITセキュリティを専門に学んだエンジニアが潤沢にいるわけではなく、システム保守を兼任する数名のスタッフでまわしていることが多い。さらに多忙な医療業務に追われ、システムの運用管理が後回しになる傾向がある。結果として、サーバ室への物理的アクセス制限が甘かったり、OSやアプリのセキュリティパッチが数ヶ月遅れたりといった問題が蔓延する。
- 古いWindows Serverの放置
互換性の理由で古いバージョンのWindows Serverを使い続ける病院は少なくない。サポートが終了したOSでは新たな脆弱性が発見されてもパッチが配布されず、攻撃者にとっては格好の標的となる。 - IT担当者の離職
病院勤務のITスタッフが退職すると、代わりを見つけるのに苦労するケースが多い。結果、ネットワークの構成図やパスワード管理が不透明なまま放置される。これは深刻なセキュリティリスクに直結する。
オンプレミスであればこそ、責任範囲も広く、管理が行き届かない部分が出てくるリスクは高まる。院内システムの全てを自力で守り抜くには、かなりのリソースとノウハウが必要だ。よほど整備されたIT部門を持たない限り、クラウド並みのセキュリティ水準を維持するのは難しいと言えるだろう。
AI運用には高度な技術と管理体制が必要
AIを導入する際は、通常のITシステム以上に高度な技術知識と管理体制が求められる。特に学習データの取り扱いやモデル更新、GPUインフラの確保など、専門性が高い領域が多い。
AIは常に進化し続ける技術であり、学習済みモデルを最新状態に保つためには定期的な再学習が必要となる。医療画像認識であればデータセットのクレンジング、アノテーション、評価も重要で、セキュリティ面ではデータの取り扱いルールやアクセス権限の制御が厳格に求められる。また、プロンプトインジェクションやデータ再出力リスクなど、AI特有の脆弱性にも対処しなければならない。
- 学習データの漏洩リスク
患者の個人情報が含まれたデータを学習させる場合、誤った設定で外部ネットワークに公開してしまうと大問題に発展する。クラウドを使う場合、専用のAIプラットフォーム(例:Azure MLやSageMakerなど)で安全にデータを管理できるが、オンプレではすべて手作業でセキュリティ設定を行う必要がある。 - ハードウェア管理の複雑性
GPUサーバをオンプレで保有すると、電力や冷却対策、スペース確保などの物理インフラ整備が必要になる。これらの管理コストは病院のIT予算を圧迫し、結果としてセキュリティ投資が後回しになる恐れもある。
AI運用をオンプレミスで行うことは、単に「サーバを院内に置く」だけでは済まない。最新のモデル管理、ライブラリの更新、インフラの拡張などが常に求められるため、セキュリティ面でのリスクも増大する。クラウドであれば、これらのプロセスを効率化するサービスが充実しており、結果的にセキュリティを含めた総合的な品質向上につなげやすいのが大きな利点である。
ハッカーが本当に狙っているのはどこか
セキュリティの要点を理解する上で重要なのは「攻撃者(ハッカー)の視点」です。ハッカーは、最大効率で利益を得られる方法を常に模索しています。攻撃難易度が高く、大手クラウド事業者の厳重なガードを突破するよりも、セキュリティ対策が甘い中小規模のオンプレ環境を狙ったほうが“簡単”だと感じるのは当然でしょう。
大手クラウド企業に侵入すれば莫大なデータを手に入れられる可能性はありますが、攻撃リスクが高く、世界中の専門家と最先端の監視システムを相手にしなければなりません。対して、オンプレの中小医療機関はITリソース不足で“穴”が見つかる可能性が高く、ランサムウェアやフィッシングによる侵入口も多い。このように、ハッカーはコストパフォーマンスを優先するため、守りの固いクラウド企業よりも守りの手薄なオンプレを好む傾向が強いのです。以下のセクションでは、その裏付けとなる事例や考え方を具体的に示します。
大手クラウド企業はターゲットにしにくい
ハッカーにとって大手クラウド企業への攻撃は、難易度が高くリスクも大きいため、必ずしも“美味しい獲物”ではない。
AWSやAzure、Google Cloudなどは、世界規模で年間何百億円ものセキュリティ投資を行っている。常時SOC(セキュリティオペレーションセンター)で不審なトラフィックを監視し、攻撃を検出すれば即座に封じ込めるプロトコルを整備。攻撃成功率は極めて低く、発覚するリスクが非常に高い。さらに、法執行機関との連携も強化されており、大規模な攻撃が起これば国際的に捜査が行われることが多い。
- クラウド企業のバグバウンティ
大手クラウド事業者は「バグバウンティプログラム」を実施し、ホワイトハッカーに脆弱性発見を依頼している。報告があれば即座に修正されるため、攻撃者が狙う隙は相対的に小さい。 - 厳格なアクセスポリシー
物理的なデータセンターへの出入りは、複数の認証プロセスを経る必要がある。入退室時に生体認証を含めた多段階チェックを行い、24時間監視カメラが作動している。これは中小規模の施設ではなかなか実施できないレベルだ。
理論上、大手クラウド企業を攻撃すれば莫大なデータを得られる可能性はあるが、成功確率が低く即時検知されるリスクが高い。ハッカーは必ずしも大企業を優先して狙うわけではなく、もっと手薄な環境をターゲットにすることが多い。
中小のオンプレ環境は「狙いやすい標的」
ハッカーにとって、中小規模の医療機関やオンプレ環境は、セキュリティが手薄で攻撃成功率が高いため“狙いやすい標的”である。
医療機関のIT予算は限られており、セキュリティ対策にまで手が回らないケースが多い。特にオンプレ環境では、ソフトウェア更新やログ監視、脆弱性検査などを手動で行う必要があるうえ、それらを専門に担当できるスタッフが不足しがちだ。ハッカーはポートスキャンなどの基本的な手段で脆弱なサービスを見つけ、緩い認証設定や既知の脆弱性を突いて侵入する。成功すれば医療情報や個人データを大量に入手し、ランサムウェアで身代金を要求するなどの収益化が容易に可能だ。
- VPN設定のミス
リモートワーク対応や他院とのデータ連携を目的にVPNを導入しているが、初期設定のまま放置している病院もある。その結果、デフォルト認証情報がバレて外部から侵入を許すケースが発生。 - パスワードの使い回し
医師や看護師が業務の忙しさから、簡単なパスワードを使い回す現象もありがち。攻撃者はフィッシングメールや総当たり攻撃で突破しやすく、一度入られると横展開もスムーズに行われる。
病院が「クラウドは危険」と言いつつオンプレを選ぶことで、逆にセキュリティの穴を広げている可能性がある。守りが弱い環境をハッカーが放っておくわけがなく、彼らにとっては“おいしいターゲット”となりやすいのが現実だ。
実際に起きた医療機関の被害事例
医療機関が攻撃を受け、深刻な被害を受けた事例は国内外で多数確認されている。ランサムウェアによりカルテシステムが停止し、患者の治療が滞るなど、現場への影響は甚大。
国際的にも医療機関への攻撃は年々増加傾向にあり、特にオンプレ環境を維持している中小病院が狙われるケースが多い。サイバー攻撃者は医療データが金銭的価値を持つことを熟知しており、体制の弱い施設を重点的に探索していると考えられる。ランサムウェアによる被害は、ただでさえ逼迫した医療現場にさらなる混乱を招く。
- 徳島県の病院ランサムウェア被害(2021年)
病院内の電子カルテが全く使えなくなり、外来診療や入院患者のケアが大幅に滞った。原因はオンプレサーバへの不正アクセスで、日常業務が紙ベースに逆戻り。復旧には多大な時間と費用を要した。 - 米国のICUシステムダウン
ICUのネットワークが攻撃を受け、バイタルサイン監視システムが停止。臨床現場は代替手段を余儀なくされ、患者の安全確保が困難に。こうした事態では人命に直結するリスクがある。 - 地方自治体への波及
医療機関との連携サーバを攻撃対象に、自治体側のシステムまでランサムウェア感染が拡大。複数組織に被害が及ぶクラスター感染のような状態となった。
これらの事例からわかるように、オンプレミス環境が中心の医療機関は特に危険度が高い。クラウド導入を敬遠するあまり、一番守るべき患者や診療体制に大きなリスクを背負い込んでいるといえる。ハッカーはまさにそうした隙を狙っており、被害にあった場合の代償は非常に大きい。
現実的な代替案とは?
ここまで、クラウドを避けてオンプレミスにこだわることがかえってリスクを高める可能性があるという視点を示してきました。しかし、実際に病院や大規模施設がクラウドに移行する際、「どうしても不安要素がぬぐえない」「海外企業との契約はハードルが高い」という声は依然として根強いのも事実です。こうした課題を解決するためには、単純に「全てをクラウドに預ける」か「全てをオンプレにする」の二極対立から抜け出し、国産クラウドの活用やハイブリッド構成、データの学習を行わないAIサービスなど、より柔軟で現実的な選択肢を検討することが有効です。以下では、それらの具体的なアプローチを紹介し、医療機関が安心してAIやITインフラを運用するためのヒントを提供します。
国産クラウドの活用という選択肢
海外クラウドへの抵抗感が強い場合、国内企業によるクラウドサービスを活用することで、多くの不安要素を解消しつつセキュリティを高められる。
国内クラウド事業者(IIJやさくらインターネットなど)は、日本国内にデータセンターを保有し、国内法規に準拠した形で運営を行っている。データが海外に移動するリスクや、海外政府からのデータ提出要請などが起きにくい環境であり、さらに日本語サポートも充実しているため、医療機関が抱く“言葉の壁”や“違う商習慣への不安”が軽減される。加えて、国内ベンダーは実際に医療機関向けの導入事例を数多く持ち、細かい法規制にも精通しているケースが多い。
- データ保管の安心感
国産クラウドの場合、データセンターが関東や関西など国内にあり、災害対策として複数拠点にレプリケーションされていることも多い。院内から近距離であれば、必要に応じて物理的な見学や監査も可能。 - サポート体制の手厚さ
組織によっては英語が苦手な担当者も多いが、国産クラウドなら完全日本語サポートが標準だったり、医療業界向けのコンサルティングサービスが用意されている。導入時のハードルを下げる大きな要因となる。
「海外クラウド=危険」という偏見を解消する上でも、国産クラウドは橋渡し的な役割を果たす。法制度や言語面の問題で導入を断念していた病院も、国産ベンダーであれば障壁が低くなる場合が多い。クラウドのメリットを最大限活かしながら、安心感を得る現実的な選択肢と言えるだろう。
ハイブリッド構成やゼロトラストの考え方
クラウドとオンプレをうまく組み合わせた「ハイブリッド構成」や、ネットワークを信頼しない「ゼロトラスト」の概念を取り入れることで、セキュリティと運用効率のバランスを最適化できる。
ハイブリッド構成では、患者データや重要情報を院内サーバに厳重に保管し、AIによる解析やバックアップはクラウドで行うといった分割が可能。こうすることで「全てを外部に預けるわけではない」という安心感を維持しつつ、AI演算や障害対策はクラウドの強みを活かせる。一方、ゼロトラストモデルは「自社ネットワーク内であっても信用しない」発想で、アクセス制御や認証プロセスを複数段階にする。結果的に、外部だけでなく内部からの情報漏洩や不正アクセスにも強い体制を築ける。
- ハイブリッド構成の導入例
電子カルテやレセプト情報は院内のサーバで厳重に管理。一方で、画像解析などの演算負荷が高い処理はクラウド側にAPI経由で送信し、結果だけを院内で受け取る。これにより、ネットワークトラフィック量が抑えられ、プライバシーも守られやすい。 - ゼロトラストでのアクセス制御
職員一人ひとりの端末に多要素認証を実装し、外部アクセスもVPN+追加の認証要素が求められる。ネットワーク内部であっても、サーバにアクセスするたびに改めてID・権限を確認する。こうした設計なら、万一内部アカウントがハッキングされても被害を局所化できる。
クラウドとオンプレを対立概念と捉えるのではなく、両者のメリットを活かす設計を考えるのが得策。ゼロトラストの考え方を取り入れれば、さらに高度なセキュリティが実現できる。医療機関が安心してデジタル化を進めるには、こうした複合的なアプローチが必須だ。
データ学習されないAIサービスの活用
「データがクラウド企業に吸い上げられ、学習されてしまう」という懸念を払拭するため、最近では「学習しないAIサービス」や「プライバシー担保型AIサービス」が登場している。
一部の大手サービス(例:ChatGPT EnterpriseやAzure OpenAIなど)は、ユーザーが送信したデータを学習に利用しないオプションを明確に提供している。また、API経由でやりとりされる情報を保存しない設定を選べるなど、医療データを取り扱う上での懸念事項に対応している。これにより、「クラウド上でAI解析を行いつつも、データが再利用されるリスクを極小化できる」メリットが得られる。
- ChatGPT Enterpriseの導入
病院の顧客対応チャットボットとして導入する際、やりとりした患者情報がChatGPT本体の学習データに混ざらないように設定可能。さらに、通話録音データなどをテキスト化してAI解析したとしても、契約上は学習には使われない。 - Azure OpenAI+機密ボルト
Azure環境で機密ボルト(Key Vault)と連携し、AIに入力されるデータをすべて暗号化保管。解析結果のみを返し、生データがマイクロソフト側に残らない仕組みを構築できる。これなら大容量の医療データを扱う場合でも安心感が高い。
クラウドを活用するうえでの最大の不安材料である「データの意図しない学習・流用」問題も、サービス設計や契約形態を工夫すればかなり軽減できる。最新のAIサービスはプライバシー保護に力を入れており、必要以上に恐れるよりも具体的な対策を講じてメリットを享受することが賢明だ。
まとめ
病院や大規模施設におけるAI導入は、患者の診断や治療の質を向上させ、業務効率化を進める非常に魅力的な選択肢です。しかし、「クラウドは危険だから」と安易にオンプレミス運用を選択してしまうと、実際には専門性やリソース不足からセキュリティの脆弱性を生み出す可能性があります。ハッカーに狙われやすいのは、往々にしてこうした「手薄なオンプレ環境」である点に留意しなければなりません。
クラウド企業は国際規格や法令に準拠した強固なセキュリティ体制を整え、多層防御や24時間監視を当たり前のように実施しています。さらに、国産クラウドやゼロトラストを組み合わせたハイブリッド構成、学習されないAIサービスなど、多様な技術的オプションも充実しているのが現状です。運用面の工夫次第では、オンプレよりもはるかに安全かつ柔軟な環境を構築できるはずです。
「クラウドかオンプレか」という表層的な二択ではなく、「どのようにセキュリティを確保し、どんな運用体制を構築するか」が肝心です。医療機関として守るべきものは患者の命とプライバシーであり、そのために最適な技術と専門家の知恵を活用するのが本来の姿と言えます。クラウドへの不安があるなら、国産クラウドやハイブリッド活用といった現実的な一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。今後の医療現場のIT化において、セキュリティと利便性を両立する最良の道を探ることが、最終的には患者と病院双方のメリットにつながるのです。