プロフィール

こんちには、チャオ(・∀・)です。

 

失礼しました、駒田隆成こと「リュウセイ」と申します。

 

出身は三重県津市、1995年(平成7年)生まれです。

 

高校から大学の7年間ほどはずっと建築を学んできて、大学4年の時に2建築士、それと宅建士に合格しました。

 

色々あって、今では当ブログ「ryuseiblog」の代表取締役に就任しました。

 

お時間があっても、なくても、ちょっと僕の経歴話にお付き合いください。

 

 

高校から大学生の7年間ほど建築を学んでいた

 

僕が建築の道を選んだのは、

 

「大きな建物を設計する建築士になりたい」
「歴史に残る建築をしたい」
「歴史に名を残す建築家になりたい」

 

などという高貴な目標では一切なく、

 

「ただなんとなく」

 

です。

 

僕、中学生の時、成績が悪かったんですよね。

 

親が全く勉強に関心がないのもあってか、僕は勉強というものにあまり打ち込めない方でした。

 

小学校の一時期はめっちゃ頑張ってた記憶があるのですが、長くは続かず…。

 

中学時代は下から数える方が早いくらいの成績だったので、「座学が苦手なら実技系の高校に行った方がいいんでない?」的な進路指導により、「農業高校」と「工業高校」の2択に絞られたのがキッカケでした。

 

で、農業には興味無かったので、工業高校に進学…という流れです。

 

「電子科」「電気科」「機械科」「建築工学科」の4つの科から「建築工学科」を志願したのも、ただなんとなくだったと思います。

 

別に親は建築士でもなければ設計に携わる仕事はしていないし、親戚にも建築士はいません。

 

親友のオトンが一級建築士でよく仕事場に連れて行ってもらっていた…ということも一切ないです。

 

上で言ったように、「歴史に残る偉大な建築家に俺はなる」みたいなことを思ったことはただの一度たりともないですし、なんなら小さい頃から建築士に憧れていたわけでもありません。

 

本当に「ただなんとなく」なんですね。

 

なんとなく入った建築の道でしたが、それなりの素質はあったみたいで、気がついたら7年間ほど建築を学んでいました。

 

高校に入ってからも普通科目の成績が悪く、英語とかはずっと赤点取ってました。

 

しかし僕は内申点が良かったので、ギリギリのところで許してくれてはいましたが 笑。

 

野球部で3年間(補欠で)頑張っていたのも、内申点アップに繋がる要因だったと今では思いますね。

 

特に楽しかったのが「製図」と「大工」の授業でした。

 

製図はひたすらトレースの繰り返しだったものの、「コツコツ描いて図面を完成させる」のが楽しかった思い出です。

 

大工も同じようなもので、手を動かせば動かすほど形になっていく様子に、喜びを感じていました。

 

そんなこんなで、再びやってきた人生の岐路。

 

そう、「就職」or「進学」ですね。

 

高校3年次の僕は、建築の世界に興味が湧きつつあったので、さらに建築の道を極めようと思って「建築系の専門学校」に進学することを決めました。

 

…と言うとカッコイイですが、ただ単に就職したくなかっただけです 笑。

 

もちろん、建築が少しずつ好きになっていったのは大きな理由です。

 

「建築をもっと学びたい」という純粋な気持ちに、「まだ就職したくねぇ」という気持ちがプラスされたので、「進学する」という結果になりました。

 

 

大学4年生のころに2級建築士と宅建士に同時合格

 

専門学校に入学してからは、本格的に「2級建築士」の勉強がスタート。

 

建築士の資格には大きく分けて「木造建築士」「2級建築士」「1級建築士」の3つがあり、1級建築士ともなればどんな建物でも設計が可能になります。

 

しかし、1級建築士を目指すには長い実務経験が必要になってきます。

 

木造建築士は正直「DIYレベル」なので(先生がチョロッと言ってた)、2級建築士からチャレンジしていくのがスタンダートだと言えますね。

 

僕が通ってた専門学校は3年次に2級建築士を受験することになっており、もちろん僕も受験したのですが…

 

「製図試験で落ちました」。南無。

 

建築士の試験は「学科試験」と「製図試験」に分かれており、学科試験を突破したものが製図試験に臨めるというシステムになっています。

 

中学から高校に至るまでずっと勉強は苦手でしたが、専門学校に入ってからは一念発起したので、学科試験はわりと余裕の合格でした。

 

学科も製図も学校で鬼の如く対策講義を受けたので、「学科は余裕で通ったし、製図もイケるやろ」と高をくくっていたんですが…

 

「製図試験で落ちました(2回目)」。南無。

 

死ぬほど落ち込みました。

 

周りの友達はみんな合格しているのに、なんで俺だけ。

 

残酷にも建築士の合格発表は12月末なので、人生で一番の最悪な年越しを迎えることになっちゃったのです…(まぁ受かったら天国なんですけどね)。

 

何が迎春じゃい。うるせぇわ。

 

建築士の試験は1年に1回です。

 

僕の通っていた専門学校は大学編入カリキュラムがあったので、それを利用して4年次から大学に編入して、もう一度2級建築士にチャレンジしました。

 

建築士は学科試験に合格すれば、製図試験に落ちても3回までならまた製図試験からチャレンジできます。

 

「流石に1回勉強しているから2回目は余裕でしょ」と思うなかれ。

 

確かに1回目より有利ではありますが、

 

  • メンタルがやられている
  • 製図課題は毎年変わる

 

という2つの要素が重くのしかかってきます。

 

というか「メンタルがやられている」が一番大きいと言えます。

 

おまけに、「宅建士にも挑戦する」というトチ狂った状況。

 

「メンタルボロボロ×毎年変わる製図課題×宅建士との同時受験」を経験する羽目になってしまったのです。

 

しかも、宅建士と2級建築士の試験スケジュールが近いので、ホントに同時に勉強を進めていかなければならないという過酷さ。

 

まぁ猛勉強の末に2級建築士と宅建士に同時合格できたので良かったんですけどね。

 

人生で頑張ったトップ3に入る出来事でした。

 

 

新卒で入った会社を9か月で退職

 

「2級建築士と宅建士を持っている優秀な学生」ということで、就職活動はそれなりに有利に進められたと思います。

 

新卒で入ることになった会社と出逢ったのは、某資格学校が主催していた企業説明会でした。

 

そこの企業のブースにはほとんど学生さんが座っていなかったので、ちょっと試しに話を聞いてみようと思い、その流れで会社訪問することになったのです。

 

30分早く会社にお伺いしたことが妙に気に入られ、その日の終わりに内定を出してくれました。

 

就職活動時は、まだ2級建築士と宅建士の試験が控えていた時期だったので、「早く会社を決めておきたい」という気持ちが勝って内定を承諾。

 

今思えば、焦らずもうちょっと考えて決断すべきだったかなぁと思いますね。

 

色々あって、その会社は9か月で退職することになっちゃいました。

 

僕があまりにも社会人としての素質が無かったためか、何もかもが上手くいかず、挙げ句には「駒田君は同世代の子に比べて知能指数が低いよな」とも言われて撃沈。

 

他には、

 

  • 駒田君って普段は絵本とか読んでいるの?
  • 君の書く報告書はあまりにも幼稚だね
  • 会社に君の居場所はないよ

 

などなど、正直思い出したくはないですね。

 

これを書いている今も、苦しいです。

 

まぁ全部自分のせいですけどね。自業自得。

 

完全に自分のせいで絶望していた最中、となる一筋の光が見えてきました。

 

それが「ネットビジネスで稼ぐ」という光。

 

「個人で稼げるようになれば、こんなクソッタレな現実から抜け出せる!」

 

そう強く思い、30万を一括で払ってネットビジネス塾に入塾しました。

 

その頃の僕は完全にトチ狂っていたので、ネットビジネスに集中するべく、新卒で入った会社をムリヤリ退職しました。

 

その退職の仕方が、これまた「クズ社会人」でして…。

 

「こんな退職の仕方は僕くらいのもの」と自信を持って言えるのですが、何をしたかと言うと、

 

「正月明けにいきなり会社に『しばらく休みます』という内容のメールを送り、新年早々から無断欠勤した」のです。

 

…あり得ないですよね?

 

普通は数ヶ月前とかに退職の意思を伝えて、しっかり引き継ぎの準備をするのが社会人じゃないですか?

 

なのに「明日からしばらく休みます」メールを一方的に送って、新年早々から無断欠勤するなんて、どこの子供ですか…。

 

しかも当時、手取りで25万貰えていました。

 

さらに社宅だったので、固定費は光熱費くらいで月2万以内。

 

つまり20万円くらいは完全に自由に使えるお金という、社会人1年目にしては破格の待遇だったと思いますね。

 

入居する社宅の部屋も、僕の入社に合わせて綺麗にリフォームしてくれましたし、ベットもフランスベットを新調してもらいました。

 

社宅に関しては、会社としての資産にもなるので、僕の入社がリフォームをする丁度いいタイミングだったというのもあると思いますが。

 

あと自転車置き場も会社のガレージを使わせていただいていたので、本当に月2万くらいの固定費で済みました。

 

  • 入社1年目から手取り25万
  • 社宅住みで固定費は月2万ほど
  • 自転車置き場は無料
  • 部屋のベットは新品のフランスベット
  • 駅近で都市部だったので遊ぶ場所にも困らない

 

細かいのを挙げたら他にもありますが、新社会人にしては経済的にかなり余裕があった方なのは確かです。

 

しかし、当時の僕は圧倒的にマネーリテラシーがなかったので、バンバンお金を使ってしまい全く貯金なんて出来ていませんでした。

 

月20万も自由に使えるお金があったはずなのに、なんで給料日前にはもう3万を切っているんだ?

 

マネーリテラシーってホント大事ですよね…。

 

自分に子供ができたら、マネーリテラシーは徹底的に仕込もうと思っています 笑。

 

マネーリテラシーに関しては語りたい事がたくさんあるのですが、この辺にしておきます。

 

上記の優遇は、会社に若い人材(20代)が少なかったという現状と、5年目以来の新卒の社員という事情もあったためと思います。

 

つまり「めちゃくちゃ期待されていた」ということですね。

 

上で書きましたが、僕は「2級建築士×宅建士×大卒」の肩書きを持つ人材だったので、それはそれは大いに期待されていたと思います。

 

しかし、いざ蓋を開けてみると、「こんな程度のヤツ」だったんですよね…。

 

ある意味、詐欺師でしょう 笑。

 

国家資格を2つ持っていて、6年間野球をやっていたので受け答えも元気に出来ていたから、「コイツ、めちゃくちゃ優秀そうな感じがする!」と期待させちゃった。

 

もちろん僕もその期待に応えるために頑張りましたが、あまりにも「子供」すぎて、ホントに「空腹の末やっと見つけたサンマの缶詰だったのに、開けてみたら腐ってた」という感じのヤツだったんですね。

 

若い優秀な人材にずっと飢えていたところに、僕が現れ、そして新年早々に1本のメールを残して当然去る…。

 

台風ですか?笑。

 

1月3日に仕事始めだったので、前日の夜にメールを送り、次の日は朝5時に起きて家出しました。

 

なぜそんな朝早くに社宅を出たかと言うと、会社の人間との鉢合わせを避けるためです。

 

社宅なので会社の人間も合い鍵で出入りできますからね…。

 

朝から家出した僕が最初に向かった先は、「マック」です。

 

朝マックなら値段も安いし、フリーWi-Fiもあるのでいいかなぁと思ったんです。

 

そこで1時間くらい滞在した後はしばらく街をフラフラ歩いて、次に向かった先は「Apple本店」。

 

iPhoneのバッテリーを変えたかったんですよ。

 

しかし、予約でいっぱいだったので諦めました。

 

そうしてまたフラフラと街を探索してたら、スマホの充電がなくなりかけたので、auのスタンドで充電。

 

そのタイミングで携帯に会社から電話があったのですが、スルー。

 

「今頃は、大学時代の友達はみんな必死に働いているんだろうなー」なんて適当にボンヤリ考えながら、前から一度行ってみたかった高層ビル上層のカフェに行くことに。

 

高層から地上を眺めながら、コーヒーをズズッ。

 

「本当なら働いている時間に、俺はコーヒーとケーキで優雅な一時を楽しんでいるんだ」なんて思いながら、小一時間ほど滞在。

 

でもさすがに「このままじゃマズいな」と思い始め、社宅付近のコメダ珈琲に入り、どうやって会社に事情を説明しようか作戦を考えることにしました。

 

その時、2019年1月3日16時頃。

 

社宅に荷物がある以上、このまま行方を眩まし続けるわけにもいかないですからね。

 

話す内容を一通り考えた後は、スーツを着て会社に行って、事の経緯を全て話しました。

 

その場で退職の意思を伝え、8日に退職届を出して、晴れて無職に。

 

破格の好待遇を受けて新卒で入った会社を、僕はなぜ9か月で退職したのか?

 

それは、「会社員として生きること」に違和感を覚えたからです。

 

「1年目から手取り25万を貰っておきながら何言ってやがんだ」と思うでしょうが、僕は入社時からずっと会社員としての生き方に居心地の悪さを感じていました。

 

出勤する時間が毎日決まっていて、定時まで問答無用で拘束され続ける。

 

上司の言うことは聞かないといけないし、電話はいの一番に取らないといけないし、やることは決まっていてつまらないし、飲み会ではお酌をしないといけないし、上司の愚痴は聞かないといけないし、社会人マナーってのを守らないといけないし、報告書は書かないといけないし…

 

とにかく、面倒くさいことが多過ぎ。

 

みんなホントによくやるよね 笑。

 

特に大っ嫌いだったのが、「電話」でした。

 

僕は電話で上手く喋れないタイプなので、毎回多大なるストレスでした。

 

最初の3か月はとにかく電話を取り続けるように言われたのですが、クソ苦手すぎて、心の中で泣きまくっていましたね。

 

「電話は新人が真っ先に取り次ぐべき」というナゾの風潮により、当時の僕のメンタルはわりと限界近くまで来ていました。

 

とにかく毎日が嫌すぎて、逆に良かった日なんて1日もないくらいですね。。。

 

他にも色々あって、「会社員ってやつは、こんなにも不自由なのか!」と思い知りました。

 

僕は表にあまり感情を出さないタイプなので、あっけらかんとしつつも、心の中では絶望していました。

 

そんなある日、偶然立ち寄った書店で、とある本と運命的な出逢いをしました。

 

その本というのが、「バカとつき合うな」です。

 

 

別に会社の人達がバカと言うわけではないですが、僕はこの本を読んで感銘を受けました。

 

この「バカと付き合うな」をキッカケに西野亮廣さんと堀江貴文さんに強い興味を持ち、特に堀江さんの書籍を読み漁るようになっていきました。

 

そして、ついに「審判の本」にたどり着くことになります。

 

その本とは「マンガで身につく 多動力」です。

 

 

これを読んだ僕はまたまた感銘を受け、「俺も自由になりたい!」と強く願うように。

 

その日の夜は、興奮してあまり寝られませんでした 笑。

 

この頃からですね、退職を考え出したのは。

 

一般ルールに従って、退職する前に会社に事情を説明しようと思ったんですが、引き留められることは目に見えていたので強引に辞めることを決めたのです。

 

「僕はもうこの会社でやっていけないので、退職させてください」と言っても、どうせ「いやいや、まだ早いよ。もうちょっと頑張ろうよ。それが社会人ってものだよ?」みたいに言われるだろうなーって思ったんですよ。

 

そうなるのが面倒くさかった。

 

だから、あえて非常識な辞め方をして、「なんだコイツ。あり得えんわ。こんなヤツ、こっちから願い下げだ」となるのを狙いました。

 

「頭がおかしくて非常識なクズ」と思わせることで、引き留められないようにしたんですね。

 

「2級建築士×宅建士×大卒」という肩書きを、この時ほど面倒くさく感じたことはありません。

 

非常にアホな話なんですが、一応狙い通りになって、退職を伝えたらすんなり承諾してくれました。

 

入社面談からずっと担当してくださった人事の方は、僕の奇行に完全に呆れかえっていました。

 

まさに、言葉も出ないってやつです。

 

こんな新入社員がいるでしょうか。

 

ひとまず作戦は成功したものの、社宅に置いてある荷物をどうにかせにゃなりません。

 

後日に退職届を出すことを言い渡され、「さあ、部屋の後片付けはどうする?」となり。

 

「一週間猶予をあげるから、社宅の荷物を全て片しておいてね」と言われたので、そのタイミングで初めて親にも事の経緯を話し、引き取りに来てもらいました。

 

親父が軽トラを持っていて助かった 笑。

 

それ以降は実家に帰り、現在進行中です(2021年現在)。

 

親父が個人事業主をしているので、その仕事を手伝いながら、僕は新たな道へと歩き出していきます。

 

 

30万払ってネットビジネス塾に入る①

 

「マンガ版 多動力」を読んだのがキッカケで退職を強く決意したと書きましたが、その少し前にも、僕は大きな決断をしていました。

 

その決断とは、「組織に頼らず、自分の力で稼ぐこと」です。

 

ちょうどその時、2年くらい繋がりを持っていたネットビジネス系の人が、「情報商材を作って稼ぐ塾」を30万で開いたんですね。

 

掘り下げて説明すると、「情報発信を通して顧客に価値を提供して、その対価としてお金をいただくWin-Win型ビジネスの塾」ですね。

 

僕は手取りが高かったんで、口座に入っていた33万を使って、一括決済して入塾しました。

 

結構軽く言っちゃってますが、めちゃくちゃ心臓バクバクでしたよ。

 

だって、普通の頭をしていたら、訳の分からない怪しいネットビジネス塾に30万もの大金って払わないじゃないですか?

 

「パソコン一台で、どこでも好きなだけ稼ぐ」なんてコピーに踊らされることはあっても、大抵の人は「エイヤッ!」で30万出しませんよ。

 

しかも、現金一括で。

 

明日からの生活金はどうするの?なんて一切考えていない。

 

完全にその場の「ノリ」ですね。

 

この出来事によって、退職して個人で稼ぐことを本気で考えるようになり、その後に「マンガ版 多動力」を読んで完全に吹っ切れました。

 

先のことなんて一切考えていないですよ。

 

なぜなら、考えていたら行動なんて出来ないからです。

 

まぁちょっとだけ反省するとすれば、もうちょっとお金を貯めてから辞めれば良かったかな?くらい。

 

でも、その当時は「退職して自由になる」ことしか頭になかったわけですから、どうせこういう結果になっていました。

 

まぁそんなこんなで入塾したネットビジネス塾。

 

詳細はここでは書けませんが、オンラインサロン上でやりとりする形式で、個別の対応は主にメッセンジャーで行っていました。

 

専用のメンバーサイトにアップされた教材で学習を進め、分からない点や質問したい点などをサロンのコメント欄に書き、それをサロンメンバー全員で共有しながら学んでいくという運営方式です。

 

30万で入ったと書きましたが、この塾は「30万コース」と「100万コース」に分かれており、100万コースは「VIPコース」ということで個別のコンサル権(回数制限付)が付いていました。

 

一方30万コースの方は、「何か質問しても返信が来る保証はなく、講師が答えてくれたらラッキー」みたいな感じでした。

 

一般コースとVIPコースを分かつ点は、主に「マンツーマンの指導の有無」ですか。

 

コースの詳細は入塾前に大体聞いていましたが、当時の僕は「え、30万も払ったのに制限があるの?」と素直に思いましたね。

 

今思えば、あえて「VIPコース(100万)」という上位コースを用意しておき、アンカリング効果で30万を安く見せたんじゃないかなーと。

 

さすが、10年以上ネットビジネスをされているだけあって、正直に「上手い!」と思いました 笑。

 

「いつか自分も商品を売るとき、こういう感じで仕掛けていかなければいけないんだろうなー」なんて思った記憶があります。

 

さて、そのネットビジネス塾のクオリティですが、今でも時々教材を読み返すほどに有益なものでした。

 

ここに入ったのが僕のネットビジネスのスタートですから、色々と感慨深いものがあります。

 

1年間の運営となっていましたが、コンテンツの配信が少し後にズレ込んだことにより、半年くらい延長した後に自然消滅していきました。

 

総合的に見ると非常に有益だったものの、一点だけ気になった部分を挙げるとするならば…

 

講師群が3人いたんですが、その3人全員が「恋愛系の情報発信者」であり、それもあってか恋愛系で攻めていく塾生さんに対してどちらかと言えば手厚かったこと。

 

「講師全員が恋愛畑とか、どうなん?」とか感じたのは正直なところですが…。

 

僕が入った塾には、確か塾生が50名(~70名?)ほどいたと思いますが、約1年半の講義で稼げるようになったのは、僕が認識できた範囲で「1人」だと思います。

 

その1人とは、「女性のためのセックス講義」を発信していた人でした。

 

その方の発信ジャンルが講師の目に留まり、塾生代表として講師と対談動画を撮ったり、プロモーション企画をやったりしていました。

 

「やっぱり恋愛・SEX系は強いな~」と塾生の誰もが思ったハズ。

 

さて、「情報発信で個人で稼げるようになる」ために入った当塾ですが、はたして約1年半の講義を通して僕は稼げるようになったのか?

 

と言うと…

 

結論、「稼げるようにならなかった」ですね。

 

「自分の商品を作って販売する方法」を教える塾でしたが、当然ながら、「商品を作れるだけの実績や経験を持っていること」が大前提となってきます。

 

例えば、恋愛なら異性を口説いてデートにこじつけた経験、物販ならせどりで月10万円稼いだ経験、などでしょうか。

 

当たり前の話ですが、恋人を作ったこともないのに恋愛系の発信なんてできるわけないですよね。

 

しかしながら、当時の僕は、何の実績も経験もスキルもありませんでした…。

 

商品の作り方や売り方、ビジネスマインドなどの基礎知識は大変勉強になったものの、最も肝心の「お金を稼ぐ」ことは達成できずに塾は終わってしまったのです。

 

つまり、投資した30万は1円も回収できなかったということ。

 

「1年以内に情報発信で月50万を目指す」がその塾のキャッチコピーだったんですが、「商品を作れるほどの実績・経験を持たないネットビジネス初心者」には、96%達成は難しいと思います。

 

だって、「商品の作り方・売り方」は教えてくれるものの、それは「そもそも、商品を作れるほどの実績・経験がある前提」なのですから…。

 

ちなみに余談ですが、情報発信で稼ぎやすいと言われるジャンル(売れる3大市場)は、

 

  • 身体に関する市場
  • お金に関する市場
  • 人間関係に関する市場

 

の上記であり、「ちゃんとやれば外さない」と言われる鉄板市場です。

 

僕はこの内「身体に関する市場」を選び(実質これしかなかった)、必死にビジネスを構築しようと頑張りましたが、上で言ったとおり稼げるまではなりませんでした。

 

全ての経験値が浅すぎたのが原因ですね。

 

「自分の商品を作って情報発信で稼ぐ」ことは、今の自分にとってはまだまだ壁が分厚すぎることを思い知り、絶望。

 

「塾も終わっちゃったし、どうしよっかなー」と考えていたとき、講義の中でWordPressブログを開設したことを思い出し、「よし、ブログやってみっか」と思い立ちました。

 

※実は、塾が終わってからブログを始めるまでの間にもう1つ出来事があったのですが、それはまた時間があるときに追記しようと思います。

 

 

「ブログで稼ぐ」ことを決意する

 

もちろん、ブログも完全に初めての挑戦でした。

 

文章を書くのは好きな方ですが、ブログを書いたことは一度もなかったんですよね。

 

完全初心者だったので、まずは力を付けようと思い、毎日更新をすることに決めました。

 

毎日更新は結局1年ほど続き(377日)、基礎力が大幅にアップすることに。

 

サラッと言っちゃってますが、ブログ1年毎日更新はめっちゃ大変でしたよ。

 

毎日更新をする中、ブログ運営開始1か月後にGoogleアドセンスに一発合格したのは、ちょっと自慢です 笑。

 

以前はGoogleアドセンスに関する記事を30記事ほど書いたのですが、今は記事の整理で全て削除しちゃっててもう無いです。

 

「ラーンビズ」というネット物販コンサルマーケットプライスに、「僕がGoogleアドセンスに一発合格するまでに実践したこと+アドセンス合格に必要な要素について執筆しました」のタイトルで有料記事を執筆させていただいたので、もしご興味があれば覗いてみてください。

 

LearnBiz

 

運営半年くらい経った時期に、新型コロナウイルスの給付金10万を使って、10万の個別コンサルに申し込んで徹底指導を受けました。

 

僕がコンサルを受けた方も、情報発信で稼ぐことを教えている方であり、業界歴17年の超ベテランです。

 

このコンサルについてもまた今後追記していこうと思いますが、ひと言で言うと「ボコボコにされました」。

 

もちろん、鉄拳制裁ではないですよ。

 

で、そのボコボコ某記録をブログでご紹介してくださり、コンサルと合わせてブログでも大いに学ばさせていただきましたm(_ _)m

 

ブログ377日更新と10万コンサル(半年~1年)を通してもまだブログで稼げるようになっていないですが、まだまだ序の口なのでブログで稼ぐことは諦めていません。

 

僕がなぜブログを選んだのか?

 

僕はテキストを読むのが大好きなんですよ。

 

そして、文章を書くのも好きで、昔から自分の作品を作るのが好きなんですね。

 

小学生の頃はよくカービィのマンガを描いて友達に見せていたし、スケッチを描くのも好きでした。

 

高校時代の製図や大工の話もここで繋がってきますが、「作品を作ること」が全般的に好きなんだと自分で思います。

 

これはつまり「コンテンツを作るのが好き」とも言えますね。

 

「じゃあなんでブログというネット上のコンテンツを選んだの?」という声が聞こえてきそう…。

 

えーとですね、それはですねぇ…

 

「文章を書くのが好き」というのは大前提にあって、やはり「作品を作る元手(費用)がかからない」ことが大きいですね。

 

厳密に言うと、サーバー代やドメイン代がかかっているんですけど、更新費含めて年間1万円くらいだけで済むので安いもんです。

 

記事の公開そのものにはお金は一切かからないので、維持費さえ払えばいくらでも作品を作れるのは魅力的ですね。

 

材料費をかけずに作品を作れるのがブログの良い所だと思っています。

 

それに、生々しい話ですが、ブログは資産になってくれます。

 

そんな純粋な気持ちと、ちょっとした裏心を胸に、今日も元気にブログをやっていきます(・∀・)!