自由とは責任を意味する。
だから、たいていの人間は自由を恐れる。
[ジョージ・バーナード・ショー(1856年~1950年)]
深い言葉ですよね。
自由を求めている人は多いと思うんですが、自由って何でしょうか?
- 朝何時に起きてもいい
- 学校や会社にいかなくてもいい
- 一日中何をしていてもいい
- どこで何をしようが勝手
僕が思うに、多くの人が思い描く自由とは「束縛のない生活」ではないでしょうか。
- 学校に通う学生さん
- 会社に通勤する会社員さん
決められた時間までに決められた席に座るというルールのもと、毎日を過ごしている人達は、ある意味束縛のある生活を送っているとも言えます。
ここで、「学生・会社員さんにとっての“自由”とは何か?」と考えてみることにします。
それを考えるにあたって、「彼ら/彼女らは、なぜ自由を欲するのか?」というと、やはり「時間的拘束」があるからだと思います。
大抵の場合、朝9時に始業の夕方17時が終業ですよね。学校と会社はだいたい同じようなスケジュールになっています。
つまり、最低でも8時間は一定のエリアに拘束されるということです。言葉を悪く言うと束縛ですね。
学校や会社が楽しくて仕方がないという方も大勢いますが、反対に学校や会社という組織を嫌う方々も大勢います。
いじめとか給料が安いとか色々不満があると思うのですが、その嫌な現実から逃げようとしたり解放されようとしたりしても、多くの場合はそれが叶いません。
なぜなら、「そこで拘束されることが今の生活を維持するための条件」となっているからです。
学校に行かないと社会から孤立し、会社に行かないと給料が貰えないため生活ができません。
まぁ今でこそネットのお陰で学校や会社に行かない生き方が徐々に確立されてきましたけどね。
それはともかくとして、「自分の意思に関わらず、拘束されているという事実」があり、それが多くの人達が自由を求めるようになる理由の1つではないでしょうか。
会社員ならばある程度自分の意思で職場を選んだと思いますが、学校はそうではないはずですよね。住んでいる地域で通う学校が決まるので。
時間的にも場所的にも拘束される毎日に辟易としながらも、その状態を維持しないと、今の生活が危うくなる。
これはストレスです。
だから、自由に憧れるんですね。
会社員から見ると、社長は自由に見えると思います。
報酬もたくさん取ってるし、朝9時に出社しなくてもいい。なんて自由なんだと思うでしょう。
でも、本当にそうでしょうか?
「隣の芝は青く見える」というのはいつの時代も変わらないものだと思います。
自由に見えても、実は自分が思っている「自由」とは大きくかけ離れているかもしれません。
ここで、バーナード・ショーの言葉をもう一度見てみましょう。
自由とは責任を意味する。
だから、たいていの人間は自由を恐れる。
自由とはすなわち責任を負うことだと、バーナード・ショーは言っています。
自由に見える社長は、その裏腹に多くの責任を背負っています。
しかし、責任を負うからこそ、社長は自由に意思決定できるし、自由に仕事ができると言えます。
それでもなお、自由を手にしたいか?
責任を負う覚悟がなければ、真の自由は手に入らないのかもしれません。
ってことで、今回はこの辺で。
ありがとうございました。
チャオ(・∀・)!
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