誰かに尽くす生き方は考えもの

人には「承認欲求」というものがあって、これを最初に提唱した人物が、アメリカの心理学者であるアブラハム・マズローです。

 

聞いた事ある人は多いであろう、あの「マズローの欲求段階説・欲求5段階説(自己実現論理)」ですね。

 

 

まぁ早い話、人には承認欲求というものがあるということです。

 

承認欲求とは、誰かに認められたい・褒められたいという欲求であり、人間ならば誰しもが持っている欲求です。

 

ですが、その欲求の“強さ”は人それぞれ違っていて、中には『誰かに褒められたい!』という欲求が強すぎる人もいます。

 

基本的に皆、人から褒められるのは好きです。そして、褒められたり、褒められようと頑張ったりする時ほど、より大きな力を出せるのも事実です。

 

しかし、承認欲求が前に出すぎて、人から褒められようと相手のペースに合わせたり顔色を伺ったりするのは少々考えものです。

 

というのも、「相手に褒められようとする行動」は、相手より下に出る行動だからです。

 

強い言葉を使うと、それは“奴隷”のすることなんです。

 

奴隷は言い過ぎかもしれないですが、人間という生き物はピラミッド社会を形成する生き物です。

 

つまり、人間の本能には「誰かを従わせたい欲」が眠っており、自分に対してヘコヘコする人間がいると悦を感じるのです。

 

褒めて持ち上げる行為を「ヨイショする」なんて言いますが、ヨイショされる側が気持ち良くなって地雷を踏まされる例がまさにそうです。

 

あれは本能的に悦を感じており、人はヨイショに弱いのです。

 

『ヨッ、社長!日本一!』とウソでも言われたら、つい気持ち良くなって羽振りがよくなっちゃうんですね。

 

「相手に褒められたい・認められたい」というのもこれと同じであり、褒められたいがために自分に対して頭を垂れる人間を見ると、相手は“悦”を感じてしまうのです。

 

つまり、「褒められよう」と相手のために行動することは、自分と相手の間に主従関係を生んでしまう原因にもなるのです。

 

「褒められようとする側」が“従”であり、「褒める側」が“主”です。

 

奴隷は、命令されることはあっても感謝されることはありません。

 

ここで言う奴隷の定義とは、「褒められようとする側の人間」です。

 

もちろん、褒められようと色々工夫して行動する事自体は何も問題ありません。

 

ですが、承認欲求が強すぎて、「褒められるのが目的」になっている人がいます。

 

結果的に褒められるのは良いですが、それ自体が目的になってはいけないですね。

 

さっきも言ったように、それは奴隷的な発想です。

 

「褒められる側」は下であり、「褒める側」が上です。

 

親子を想像すると分かりやすくて、褒められるのは子供で、親は褒める側ですよね。

 

子供は親の奴隷とかそんな話ではありませんが。

 

何が言いたいかと言うと、褒められる側から褒める側に回ろうということです。

 

誰かに褒められようとする生き方はすなわち、誰かに尽くす生き方だとも言えます。

 

個人的には、そんな生き方はクソくらえだと考えています。

 

奴隷を作る必要なんてありませんが、奴隷である必要もありません。

 

誰かに尽くそうとする奴隷的な発想から抜け出し、自分で自分を褒められる生き方をしませんか?

 

それでは、今回はこの辺で。

 

ありがとうございました。

 

チャオ(・∀・)!

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